*塔の家物語 *

空の灯台


「あー、おいしかった! さてと、さっきの続きを読もうっと!」

ココアは、ひざの上に広げていたハンカチをたたんで足元のバスケットにしまうと、かわりに革張りの本を取り上げました。
エプロンドレスのスカートをパタパタとはたくと、草の上にこぼれたパンくずに、小鳥が集まってきます。
音階のような楽しげなさえずりを聴きながら、読みかけのページをめくりました。
透かし彫りの栞が、陽光を受けて金色にかがやきます。
木々の合間から、薄紅色の花びらがはらはらと舞い落ちて、文字と文字の間に淡い模様を描いていきます。

塔の家の前庭にある林檎の木は、今が満開です。
枝につるされたブランコは、ココアの大のお気に入り。
お天気が良い日には、一日中だってここで過ごせてしまえるほどです。
もちろん、10時と3時のおやつは欠かせませんが。

その本は、塔の家の図書室から持ち出してきた一冊でした。
お城の奥深くに閉じ込められたお姫さま。
外の世界に憧れる彼女は、城の温室で、植物たちに向かって歌うのです。
自由を求める切なる歌を。

「これって、どんなメロディーなのかなあ?」

文中に出てくる歌詞をながめながら、ココアは首をひねりました。

「文章には、音がついていないもんね。誰か、歌ってくれないかなあ」

そんなことをぼんやりと考えていたからでしょうか。
本当に、どこからか歌声が聞こえてきました。
凪いだ湖面に降り注ぐ、淡い冬の日差しのような。
凜として静かな響きの中に、目映い光のベールをまとったような声です。

どこか知らない国の見知らぬ言語。
けれど、お話の中の歌詞をあてはめてみると、あつらえたようにぴったりです。

ひときわ強く風が吹きました。
梢が鳴り、林檎の花びらがシャワーのように降り注ぎます。
思わずぎゅっと閉じたまぶたをおそるおそる開くと、花びらに混じって、一枚の純白の羽根が目の前に舞い降りてきました。
ふわふわと漂い、手のひらに収まった羽根は、まるで重さを感じません。

「わあ、なんてきれいなの!」

羽根はあとからあとから降ってきて、ココアの周囲に降り積もります。
ブランコから立ち上がり、本を胸の前に押し抱いて空を見上げたココア。
その時、どさり。背後で何かが落下する音がしました。


*


飛行船の甲板に出ると、見渡す限り一面の雲海が広がっていました。
上空特有の強い風が吹き付け、淡紫色の髪を揺らします。
手首にくっきりと残る、手枷の跡。
魔力を込めてつくられた強力な拘束具が外されているのには理由があります。
今こそ、その力を示せと。
それは、自らの意思に反してゆがめられた力。
耳にした者の正気を奪い、廃人と化して長く苦しみ抜いた末に死に至る。
“呪いの歌”を歌うことでしか、故郷を守る手立てはないのです。
しかし、歌えば歌うほど、この身はけがれを背負う。
このまま歌い続ければ、二度と故郷の土を踏むことは許されない身と成り果てるでしょう。

飛行船が高度を落とし、雲の合間から下界の景色が見えてきました。
光をたたえた青い海、人々の行き交う町の屋根のつらなり。
ひとつひとつを認識するたびに、息苦しさが増していきます。

「予定座標に到達した。これより、作戦を決行する」

鉛のように暗く冷たい声が、背後から告げました。
同時に、背中に細い筒の感触が押しつけられます。
両側に取り付けられた拡声器のスイッチが入りました。
顔を上げると、すこし離れた所で、彼女をここまで連れてきた帝国軍人の蛭のような眼差しがこちらを捉えているのが見えます。

以前あれほど燃えさかっていた憎しみは、精神的・肉体的疲弊の果てに、今や触れればあとかたもなく崩れ去る炭木のように心の片隅に転がっています。

鳥のさえずりが聞こえました。

「うっわ、なんだコレはぁ!?」

両目を狙われた兵士が、悲鳴を上げます。背中から、筒の気配が消えました。
その瞬間、炭木に忘れかけていた炎が燃え盛りました。
本能からわき起こる衝動。
紅色の瞳に力が宿り、思い切り、前に足を踏み出します。
追ってきた兵士が腕をつかみますが、袖がするりと抜けて、手元にはからっぽになったドレスだけが残りました。

薄布一枚をはためかせ、甲板の手すりを乗り越えたムースは、残された面々に、最後に淡い天使のような微笑を残し、視界から消え去りました。

地表がどんどん近づいてきます。
最後の力を振り絞って背中の翼を広げますが、力が不十分で羽根がばらばらと落ちていきます。
それでも、解き放たれた心は浮き立っていました。
気持ちをそのまま歌にして風に乗せます。
歌が広がるほどに、ムースの髪色は淡く透き通り、空に溶け込んでいくのでした。

泳がせた視界の先に、きらり、光るものがありました。
それは石造りの塔です。
緑の森が点在する丘の上のぽっかりとひらけた場所に、空を向いて建っています。
ムースは、灯台の光を頼りに道なき海原をすすむ船乗りのように、抜けるような青空を塔に向かって落下していきました。


*


ココアが音のした方に近づいてみると、花びらと羽毛の絨毯にくるまれて、裸足の女の子が横たわっていました。
肩口までの、淡い紫色の髪。抜けるように白い肌。
薄布ひとつを身にまとい、かたく瞳を閉じています。

「さっきの・・・・・・もしかして、あなたが歌っていたの?」

ココアが尋ねると、紅色の双眸がうっすらとひらきました。
そして声もなくふたたび閉じられます。
次にその瞳が世界を映し出した時、記憶はすべて失われており、そうしてムースの塔の家での生活が始まったのでした。

FIN

*塔の家物語 *

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