* 塔の家物語 *


女王さまのクッキーづくり


ある穏やかな春の日。
朝ごはんを食べ終えたココアは、ふらりと1階の図書室に立ち寄りました。
分厚い布張りの扉をひらくと、見上げるほどに高い書架が天井まで伸びています。
室内は薄暗く、明かり取りの窓から差し込む光が、床を長方形に切り取っていました。

「何かおもしろい本、ないかなあ」

ココアは本の背表紙をつらつらと眺めながらゆっくりと書棚のあいだを見て回りました。
ここには元々、ココアの持ち物である絵本や物語の本が収められていました。そこに、ガレットが買い集めた美術書や音楽関係の書籍が加わり、ブランシュが部屋のマンガを移動させ……。おまけにアンゼリカが怪盗稼業で手に入れたウン千万dd相当の貴重書などがこっそり混ざっていたりするものですから、それはもう、かなりの混沌(カオス)具合です。
訪れるたびに知らない本が増えているので、それを探すのも楽しみのひとつでした。

ふと、ココアは一番下の段に目を止めました。
奥から3番目の、すこし大判の書物が、暗闇の中でかすかに光を帯びているように思えたのです。
床にワンピースの裾を広げて座り込み、本を引っ張り出します。
本を覆っていた蝶の鱗粉をまぶしたような光は、ココアの手の中におさまると、空気に溶けるように消えていきました。

「ええと、なになに……『妖精辞典』……?」

金色に箔押しされたタイトルを読み取り、表紙をめくります。
薄紙の下からあらわれたのは、透明な羽を広げた可憐な妖精の少女でした。

「わあっ、きれいな絵〜!」

ココアはすぐにその本に夢中になりました。

この前、merufaの館に行って以来わけもなく、妖精について関心を持っていたココアです。
そんな時にこの本に出逢うなんて、この図書室は訪れたひとの心が読めるのかしら?
ココアは首を傾げました。

淡いタッチで描かれたイラストは、どれも神秘的な雰囲気に満ちています。
本には読み物の部分もあり、「妖精の種類」・「妖精の生活」・「妖精の祭り
」などの章に分かれていました。
その中で、ココアは気になる箇所を見つけました。

「『妖精に会う方法』……?」

そこには、こう書かれていました。

【妖精はとてもはずかしがりやさん。ふつうに呼んでも、かんたんには出てきてくれません。そんな時は、妖精のクッキーを使いましょう】

「妖精のクッキー」。これもなんだか聞き覚えのあるフレーズです。
しかし、「妖精のクッキー」を作るには、“妖精の粉”や“妖精の国の森の木の実”など、聞いたこともないような材料を山程揃える必要があり、ココアは途方に暮れました。

「妖精の国ってどこにあるのかな?」

イラストには、虹のかかった青空の下のお花畑の向こうに荘厳な城があり、そこが「妖精国の城」だと書かれています。空に浮かび上がるお城のシルエットをじいっと見つめているうちに、だんだん視界がぼやけてきました。


*


気が付くと、ココアはお城の石段に倒れていました。
エプロンと三角巾を身に着けた少女が、心配そうにこちらを覗き込んでいます。

「あなた、大丈夫? 厨房の募集を見て来たんでしょう? こんなところに倒れているなんて、よっぽどお腹が空いてるのね」
「ロゼットちゃん!?」

少女は塔の家のパティシエ、ロゼットに瓜二つでした。しかし、ココアに名前を呼ばれた少女は怪訝げに首を振ります。

「わたしの名前はベニエよ。町のお菓子工房で働いているの。今日は、お城の一流職人の技が間近で見られる年に一度の機会よ。しっかり、目に焼きつけなくっちゃ」

ココアには、何のことだかサッパリでしたが、歩きながらベニエの話を聞いているうちに、だんだん事態が飲み込めてきました。
なんでも、今日は妖精の女王さまの誕生日で、毎年、城の厨房では女王さまの好物であるクッキーを山ほど焼いて国民に配るのだそうです。そのために、国中から人が集められているのでした。

「あたしたちもクッキー、もらえるのかな?」
「そりゃあ、そうよ。もちろん、仕事がぜんぶ、終わってからでしょうけどね」

気付けばいつの間にかエプロンと三角巾姿になっています。そうと分かれば張り切って、ココアはベニエのあとについて厨房のドアをくぐりました。

そこは、すでに戦場のようなありさまでした。ものすごい数の人々が、それぞれの担当に分かれて忙しく立ち働いています。辺りは小麦粉の粉塵で白く煙っており、遠くまで見通すことができません。
茫然と立ち尽くしていた二人でしたが、そばにいた体格の良い女性が目ざとく声をかけました。

「あんたたち! 新入りかい? ちょうど良かった、うちの粉まぜセクションはいつも人手不足なんだ。さっさと手を洗っておいで」

ココアは女性の顔を見てあっと口を押さえました。

「エスカさん!? なんで、ここに?」
「エスカ? 誰のことだい。あたしはドラジェ。粉混ぜセクションのリーダーさ」

やっぱり、他人の空似のようです。
渡された木べらは、ボートのオールのような大きさで、ココアはよろけながら両腕で抱きかかえなければなりませんでした。プールのような大きさのボールの周りに足場が組まれ、そこに人が並んで一心不乱に中のネタをかき混ぜています。二人もその列に加わると、木べらを下ろし、動かし始めました。

「わ〜っ、重〜い!」
「ぜんぜん、腕が動かないよー」
「そこ! しゃべってないで、さっさと混ぜる!」

少しでも弱音を吐くと、リーダーの厳しい叱責が飛んできます。
ココアは半泣きになりながら、一生懸命木べらを動かしました。

どれだけの時間が経ったことでしょうか。
とっぷりと陽の落ちた夕暮れ過ぎ。ようやくボールの中がからっぽになり、疲れきったココアとベニエは足場の下でへたり込んでいました。

「お菓子作りっていうか……肉体労働に近かったような……」
「あーあ、一流職人の技なんて、全然見られなかったわね……」

2人の両腕はもうパンパンです。

「みんな、ご苦労! 今年も無事、お役目が終了した。これから、お前たちにも女王さまから直々にクッキーが手渡される」

ようやくクッキーが手に入るのです。
一列に並んだココアは、ワクワクと順番を待ちました。

まだ辺りは粉塵が収まっておらず、女王さまのいるあたりは白く煙ったままです。

「よく、やってくれましたね」
「身に余る光栄でございます、女王さま」

順番が近づいてきて、ようやく女王のシルエットとやり取りする声が耳に届きます。
前の前の順番だったドラジェがクッキーの袋を受け取り、背中に羽根を生やして飛び立ったのを見て、ココアはどきりとしました。

(ま、まさか……)

その次のベニエもまた、差し出された袋をうやうやしく受け取ると、至福の表情で空に舞い上がります。ココアは嫌な予感がしながら、この土壇場でどこにも逃げ場がなくて、仕方なく女王の前に進み出ました。

「よく、やってくれましたね」
「い、いただきます……」

そっとクッキーを受け取り、上目遣いで辺りの様子をうかがいます。
何かを期待するような周囲の視線。

「えっと……。し、失礼しま〜す!」

走って逃げ出したココアの背中に、女王の厳しい声が飛びました。

「その背中を見ろ! そやつ、人間ではないか!」
「わっ、ば、バレた?!」
「捕まえろ!」

一斉に人々が妖精の羽根をひろげ、ココアにつかみかかります。
ココアは、宙に浮かび上がりながら、必死に腕の中の袋にしがみつきました。

「クッキーを取り上げろ!」
「だめだめだめ?! これはあたしのなんだから?!」


*


「ココアさん、ココアさん!」

はっ、と目を覚ますと、そこは塔の家の図書室でした。執事のモカが、心配そうな顔でこちらを見下ろしています。

「こんなところで眠っていたんですか? 風邪をひきますよ。それに、ひどくうなされていたようですが、大丈夫ですか?」

ココアはぱちぱち、瞬きをしてモカを見つめ返します。

「それに何ですか、そのお菓子の袋は……。まだ朝食をいただいてから1時間しか経っていないでしょう。これは、お預かりしていきますよ」

呆れ顔に変わったモカが、クッキーのずっしり入った袋を持ち上げて歩き出したのを見て、ココアはあわてて飛び起きました。

「待って待って待って!」


*


「それで、ああして草むらの中に身を隠して妖精を待ってるっていうワケか。なあ、あれが妖精のクッキーってのは、本当なのか?」

道端に停車したロールスロイスの横で腕を組み、黒蜜が半信半疑で尋ねました。

「さあ、どうでしょうか……。少なくとも、ココアさんは信じていらっしゃいます。それに、昔、旦那様からお伺いしたことがあるのです。ココアさんには本にまつわる、すこし変わった能力があると……」

広大なお屋敷の図書室。本を抱えたココアが、うれしそうに走ってきます。
モカは、ココアが話す物語のあらすじを聞きながら、本とはなんて自由な世界なんだろうと思いをめぐらせたものでした。そんな時間も、お互いの成長とともに、少なくなっていったのですが……。

「じゃあ、夕飯前には迎えに来るからよ。お前もお嬢のお守り、頑張ってな」
「はい。よろしくお願いします」

ロールスロイスが去ってゆき、モカは側の木陰に腰を下ろします。

「やれやれ、妖精が来るまでにはまだ時間がかかりそうですね」

そうして、ふところから取り出した経営学の本を、膝の上に広げました。

FIN


* 塔の家物語 *

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